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COLUMN

「GO AROUND JAPANと僕。」@なおポップ

【出会いの前】

 

2011年、東日本大震災から初めての東京ライブのことだったと思います。

 

ずっと通っていた東京のライブハウス「四谷天窓」でライブを終えて、当時スタッフでもあった代々木原シゲル(現GO AROUND JAPANの座長)と話をしていました。

 

「今日歌ってた曲、言葉がグっと聞こえたよ」

 

今思えば、彼から僕のライブについて、こんな言葉を聴いたのは初めてでした。

 

 

 

震災の後、最初に作ったラブソングのことでした。

 

単純に嬉しかったけど、

 

当時の僕は、未曾有の震災を生身で感じて、

 

これから自分という人間はどう生きていけばいいのか、自分という歌い手は何を歌っていけばいいのか、悩んでいた時期で、

 

その代々木原シゲルの言葉を、そこまで深くも考えずに耳にしました。

 

 

ひとつ、キーワードとして出たのが、僕よりずっと前から四谷天窓で歌っていて、代々木原シゲルとも親交のあった地元福島のシンガーソングラーター「ave」さんのことでした。

 

地元にあんなすごい人がいて、じゃあ俺は何ができるのか…みたいなことを話していたら、代々木原シゲルがこう言いました。

 

「今度12月にここ(天窓)で、aveさんも出る"JAPAN FOLK SPIRIT"ってフェスをやるんだ。出てみるか?」

 

そのフェスの存在はaveさんから聴いていて、「日本中には凄いのがたくさんいる」と珍しくaveさんから電話が来たことを思い出しました。

 

そんな凄いライブに出れるなんて、チャンスだ!と思い、二つ返事で出演させていただくことになりました。

 

そう、その「JAPAN FOLK SPIRIT(以下JFS)」が「GO AROUND JAPAN(以下GAJ)」の前身「JAPAN FOLK FESTIVAL(以下JFF)」のそのまた前身のフェスイベントでした。

 

でもまだこの頃は、後にJFSで受ける衝撃のことなど考えずに、ただ、大きなイベントに出れる喜びだけの僕がいました。

【衝撃の出会い】

 

2011年12月、四谷天窓でのJFS当日を迎えました。

 

JFSはその頃、前身の「YOSA FES」というイベントから数えて3回目くらいの開催でした。

 

聴いていた通り、会場には全国各地から代々木原シゲルが凄腕と感じるミュージシャンが20組、集まっていました。

 

 

僕は2番手という早めの出順で。

 

「まぁ、でも爪痕くらい残せるだろう。」

 

いつも通り、いや、それなりにいつも以上のライブをしました。

 

 

しかし、

 

自分の次のミュージシャンを見た瞬間から、その考えは綺麗さっぱりと、消えていきました。

 

 

「なんだこれ」

 

これが正直な、率直な、僕の口からこぼれ落ちた言葉でした(笑)

 

 

一言発した瞬間に全員を釘付けにする人

 

見たことのないテクニックで会場を沸かせる人

 

アンダーグラウンドな表現には興味のなかった僕の心を、その方法で持っていく人

 

僕とおんなじポップスという土俵のはずなのに、まったく歯が立たない人

 

 

それまでの自分の道や、知っているつもりだったこと、未来として考えていた世界の狭さを思い知らされました。

 

 

そしてひとつ、みんなには共通点があって。

 

嘘がないということ。

 

言葉の選び方も、その伝え方も、みんなバラバラなんだけど、

 

みんな自分の目で、自分の心で、自分の声で絞り出していました。

 

 

だから、僕も誰かの真似をしよう、とかじゃなくて、自分を歌っていたい、自分の立ち方で立っていたい。

 

初めて"これだ"と、心の底から思えました。

 

あの日悩んでた答えは、「自分のまま歌え」なんだと。

 

 

その日の打ち上げの席で、代々木原シゲルは「なおくんもこの一員なんだぞ」そう言いました。

【キャラバンと僕】

 

2012年から、JFSは全国をイベントごとキャラバンをすることが決まりました。

 

それまでは東京と大阪でのみ開催でしたが、今度は、そこに集められた各ミュージシャンが、自分の町にJFSメンバーを招いて、

 

自分の町のミュージシャンたちと迎える、いや迎え撃つと言ったほうがいいかもしれません。

 

そんなことがこれから始まるんだと。

 

 

"それじゃあさ、仙台でもやりたい。"

 

 

単純でした。

 

 

その言葉に代々木原シゲルから返ってきたのは

 

「無理だ、今のお前の音楽じゃまだ、無理だよ」

 

それまで、正面からこんなことを言われたことは、誰からもなかった(笑)

 

 

いや、一員って言ったじゃん!…とほんの一瞬よぎった言葉は、すぐに飲み込みました。

 

分かっていた。

 

まだここじゃ誰にも勝てないと。

 

それでも、先頭を名乗れば、先頭に立てるんじゃないかって、調子に乗っていたのかもしれません。

 

 

でも、なのか、

 

だから、なのか、

 

は今だに分からないけど、

 

代々木原シゲルからのキツい言葉は、痛くはなかった。

 

 

絶対に仙台公演を実現させてみせるし、その為に必要なことは、自分をもっと研ぎ澄ませていくこと。

 

その材料はJFSの現場にたくさん転がっていると確信していたし、何よりみんなのことが好きだった。

 

でも仲良しこよしじゃなくて、毎日どこかで戦っている人たちが集まる現場だから、緊張感も途切れない。

 

 

 

そして何より、誰にも負けたくなかった。

 

 

そこで僕がとった行動は、

 

 

今後のキャラバンで、何でも手伝うから、行ける限り一緒に回らせて!

 

そして、1曲でも、飛び入りでもいいから、持ち時間をいただける現場では歌わせて欲しい!

 

というものでした。

 

 

実際、13時間かけて大阪公演についてって、2曲だけ歌わせてもらったり、1曲のところもありました。

 

それでも、ただただ挑み向かって行くのが、楽しくなってました。

 

 

【あの日】

 

そんな生活から1年が経つ頃、2013年1月下北沢GARDENにて、キャラバン一週目の集大成となる過去最大規模のJFSが開催されました。

 

その日も僕は1曲の枠で会場にいました。

 

しかも、座長の代々木原シゲルと、大トリの高田リオンの間という、非常に重責な立ち位置での出演でした。

 

 

正直、一年一緒に回ってきた最後の日、この一曲で何も残せなかったら、もうJFSに出演するのは最後になると思っていました。

 

 

その一曲を何にするか決めきれず、楽屋でずっと悩んでいました。

 

「やっぱり、震災のときのあの曲なのか。でも、新曲もあるんだよな…まだ歌い込めていなくて、自信ないけど。」

 

とブツブツ言いながら落ち着かない僕を見て、共演者たちが立て続けに「絶対新曲がいい」

 

と言ってくれた。

 

 

そして迎えた本番。

 

 

代々木原シゲルの、まるでフィナーレのようなライブに会場の熱気はすごかった。

 

あんまり、出だしは覚えていません(笑)

 

新曲を夢中で、丁寧に歌うことしかできなかった。

 

 

1コーラスを歌い終えたとき、ふとお客さんの顔を見た。

 

 

みんな揺れながら泣いていた。

 

曲中なのに、「しあわせだな」って呟いてる僕がいました。

 

あの光景は、一生忘れないと思います。

 

 

 

惜しみもなく、いやらしい気持ちなく自慢したいくらい、嬉しかったのは、

 

1曲新曲を歌った僕のCD(つまり歌った曲はCDに入ってない)が完売してて、売上がどうこうじゃなくて、伝わったんだと、ステージから見えた光景は嘘じゃなかったんだと、また確信したこと。

 

大好きで尊敬している共演者たちが、@なおポップが一番よかったとボソっと言ってくれたこと。

 

 

そのとき歌った曲が、のちに僕の代表作となる「Home」という楽曲でした。

 

 

同年9月には、野外フェス「JFF」(ゆうパークおごせ)としての開催が決まり、2014年以降はJFFのみの開催形態に移行することが決まっている中で、

 

この日、2013年11月に、念願のJFS宮城公演の開催が決まったのでした。

【JFS宮城】

 

さぁこのフェスが、宮城にやってくる!

 

いや、今度は本当の先頭に立って、自分が開催するんだ。

 

 

僕が見てきたものを、感じてきたものを、経験したことを、とにかく宮城の仲間やリスナーにも共有したかった。

 

どう持ち帰るかは自由でいいから、とにかく、やりたかった。

 

 

そして全国のミュージシャンやリスナーに、

 

僕の周りのミュージシャンや、暮らしている町に出会って欲しかった。

 

 

それが、約2年越しに叶った日でした。

 

JFSの仲間と、宮城の仲間が交互に歌い続けるステージを見て、たまらなく嬉しかったのを覚えています。

 

 

その日トリとしてステージに立って、

 

最後に初めて歌ったのが、「うたうたい」という曲で。

 

 

フィナーレのような時間だったけど、そんなことはない。

 

 

JFS、JFFの写真を撮り続けてきた写真家、宮下太輔が言っていた。

 

 

翌年からはJFFのみに移行すると決まっているのに、言っていた。

 

「宮城のJFSは、これからなんですね」と。

 

まさにそう。

 

あの日からずっと続いているのだと思います。

【JFFトリ】

 

JFF2014、2日続く野外フェス。

 

JFSの20組という規模から、一気に100組単位のフェスに拡大したJFF。

 

出演オファーが来て少し経ったとき、

 

西荻窪のライブバーでビールを飲んでいたら、代々木原シゲルから衝撃の言葉が。

 

「なおくん、今年のJFF一日目、大トリやってくれないか?」

 

一瞬(僕にとっては10秒くらいに感じたけど)僕はフリーズした。

 

 

そして、「やる!やりたい!」と答えた。

 

あの中で俺がトリ…?

 

めちゃくちゃ怖いことです。

 

全国から猛者が埼玉に集まるあの場所で、1日目とは言え、自分が最後に立つなんて。

 

 

それでも、

 

やるんだ。と強く思える自分になっていることに気づきました。

 

 

それまでのJFS、JFFで身についたものは技術じゃない。

 

 

自分を開放すること、

 

戦うこと、

 

正直でいること、

 

自分を信じること、

 

人を信じること、

 

音楽を信じること、

 

仲間を愛すること、

 

心から楽しむこと。

 

 

そのすべてを信じて、@なおポップトリオ(河野圭佑、maruyaMAX)として、大トリを務めました。

 

 

最高だったよ。

 

 

 

 

【GAJ、これからのこと】

 

2016年からJFFはGAJに名前を変え、規模も内容もさらに進化していきます。

 

ずっと、

 

お願いして出させてもらっている、という感覚だった数年前から、

 

 

今は、常にみんなと対等でいます。

 

もちろん、リスペクトは忘れずに。

 

 

ただ、これは安定を手に入れたということではなくて、

 

いつでも脅かされていると言っても過言ではないのです。

 

 

今までずっと出演していたミュージシャンが出れなくなる日がいつ来てもおかしくないし、

 

僕みたいに歯が立たなかったミュージシャンが、僕以上に飛び越えて来るかもしれない。

 

 

それがGAJです。

 

 

いつも通りを貫くミュージシャンもいれば、殻を突き破る瞬間を魅せるミュージシャンもいる。

 

その逆もしかり。

 

圧倒されてしまうミュージシャンもいるでしょう。

 

 

だから僕はここが好き。

 

 

そんな特別なイベントは、そうそうないと思います。

 

これはリスナーのみなさんにとっても同じ。

 

 

みなさんの日常の中で、引っかかるものを、解決はできないかもしれないけれど、糸口になるような人に、肥やしになるような言葉に、必ずや出会えると思います。

 

 

 

 

今年は、東北出身在住のミュージシャンから、8組のミュージシャンを推薦させていただきました。

 

これまでで一番、たくさんの東北の音が越生に響き渡ります。

 

是非僕が愛する東北の魂も感じてもらえたら嬉しいです。

 

 

会場で待っています。

 

 

そして、

 

 

もちろん今年も、僕は今までで一番いいステージをします。

 

 

@なおポップ

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